「フェレットの冒険Ⅱ:嵐のなかのパイロット」

フェレットの冒険 2 (2)

リチャード・バック「フェレットの冒険シリーズ(The Ferrets Chronicles)」の第二作。第一作「海の救助隊」はタイトル通りフェレットの海難救助隊員の活躍を描いたものだが、本作もタイトル通り、フェレットの輸送機パイロットが主人公である。

しかししかし、本作ではのっけから「エンジェル・フェレット・フェアリー」なる霊的存在が登場してきて、現世のフェレット達にちょっかいを出すという展開になっている。うわあ、これはさすがに着いていくのが大変…だと思って読み進めたのだが、前作の海難救助場面に劣らない、緊迫した悪天候下の輸送機操縦シーンに手に汗握りつつ、あまりに予定調和な展開にこっちが恥ずかしい思いをしたりして、それでも楽しく読み終えたのであった。

本作ではさらにおまけに、小さな「奇蹟」のエピソードも用意されていて、やっぱり恥ずかしさを覚えつつ、ちょっぴり胸を熱くもさせられたりしたんである。うわー、恥ずかしい、照れくさい。

純真無垢にして、あくまでも「最高の正義」を追い求めるフェレット達。そこから作者のどんなメッセージを読み取るのも自由だとは思うが、むしろバックの現実逃避的志向にこそ、我々が受け止めるべきメッセージが現れているような気がする。全5部作の本作、残り3作が刊行され、そして読み終えられた時、何かもっと伝わるものがはっきりと形を表すのだろうか。

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「ローマ人の物語」スタート

2月から「小説十八史略」を読み始め、とりあえず2巻まで読了。せっかく中国史を読んでるのだからと思い立って、先月から塩野七生「ローマ人の物語」(文庫版)に取りかかってみた。

ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上)    新潮文庫

とりあえず第1部「ローマは一日にしてならず」(上下)から第2部「ハンニバル戦記」(上中下)まで読了。ところで、文庫版は読みやすくていいことはいいのだが、一冊あたりがちと薄過ぎはしまいか。一冊ごとの厚さをできるだけ揃えて、本棚での見栄えに気を配ってくれたのかもしれないが、それにしても。

それはともかく内容であるが、これはもう評判通りの面白さ。特に「ハンニバル戦記」のほうは、前編これ戦争の物語ではあるのだが、ハンニバル対ローマの対決もさることながら、ローマの人々が未曾有の国難にどう対処したかという側面が面白い。

中国史とローマ史、もちろん単純な比較はできないのであるが、それでも随所に見受けられる「違い」の数々には驚かされる。国家国民、そして各民族について知ろうと思ったら、やはり歴史を辿ることは必須であると改めて感じたのであった。イタリア人、「ちょいワル」だけで2000年生きてきたわけではないんである。たぶん。

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「フェレットの冒険Ⅰ:海の救助隊」

フェレットの冒険 1 (1)

フェレットの冒険 1 海の救助隊」」を店頭で見かけ、思わず購入。

買ってから改めて帯を読むと、微妙にスピリチュアルというかリターントゥーネイチャーっぽいノリにややビビる。読み始めると、プロローグ部分の言葉遣いがやっぱりちょいと説教臭いのにやや腰が引ける。うう、そうだよなぁ、やっぱり「かもめのジョナサン」だもんなぁ…

が、しかし。ひとたびフェレット海難救助隊(FRS)の冒険が始まってしまえば、そんな余計なテイストはどこかへ吹き飛び、ひたすらエキサイティングかつ美しい場面が連続するのである。そして救助活動の頂点で訪れる「奇蹟」… まさしく「あたしはアルファとオメガを見た」(フォークナー、だよな?)的名場面である。

バックが夢想するのは、あるいはやはり70年代ヒッピー的ユートピアなのかもしれないが、ここにはやはり「ジョナサン」以降30年(!)の時間が積み重ねられている。現実逃避の誹りもあり得るかもしれないが、かつてのロバート・ネイサンの一連の作品のように、そこには何かを経験した者だけが語れる「哀しみ」や「いたわり」があるように思う。

「感動」だの「癒し」だのが得られる作品では決してないが、確実に心に残る佳品。全5部作(第2巻の「嵐のなかのパイロット」は刊行済み)だそうなので、今後の刊行が楽しみである。

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「シングルになれる人の生活習慣」~なれるかな?

シングルになれる人の生活習慣―「ホームで素振り」が自然に出たら70台! (ゴルフダイジェスト新書)

シングルになれる人の生活習慣―「ホームで素振り」が自然に出たら70台! (ゴルフダイジェスト新書)という、どうにも照れくさいタイトルの本書であるが、本屋で立ち読みしてみたら、思いの外実用的な考え方が書かれているのが気に入って即購入して、読了した。(読んだのは先月だけど)

著者曰く、中高年ゴルファーが修得すべきは技(テクニック)ではなく、心(ゴルフに対する考え方)と体(基礎体力と基本スイング)のポイントである、と。同じようなことは雑誌やレッスン本の類で何度も見かけた気がするのだが、本書の場合、著者の体験が元になっているということなので、読んでいてなかなかに説得力がある。

本書読了後に臨んだ先日のラウンドでは、スコアにこそ反映されなかったものの、ショットの感触が向上したのは実感できた。叩いた原因もバンカーに入れたり3パットだったりと明瞭に認識できたのも、次のラウンドに向けて良い結果だったと思う。この本片手に、今年は(も)頑張るぞ!

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「小説十八史略(1)」

小説十八史略〈1〉 (講談社文庫―中国歴史シリーズ)

このところ本屋へ行くと、ハウツー本というか「成功本」みたいなのが山と積まれているのに並んで、なんとなく哲学だとか文学(それも古典)だとかが目につくような気がしていた。でまあ、そういうムードに流されやすい自分ゆえ、とりあえずは中国古典への入門ってことで「小説十八史略」(陳舜臣、講談社文庫)なんぞにとりかかってみた。

この第一巻は古代中国の殷から始まって、秦の始皇帝による中国全土統一ぐらいまでが描かれているが、いやはや、こいつは面白い。なんでこの歳までこの本を手に取らなかったのか、今さらながら不覚である。中国という巨大な国土を舞台に、数多の英雄豪傑、善人悪人、老若男女が入り乱れての、文字通りの歴史絵巻にまさに巻置く能わずといった趣であった。

ルビがないと読めない人名がわんさと出てくるのは仕方ないが、それ以上に文章が簡潔にして調子が良くて読みやすいのがありがたい。史実かどうかはともかく、「小説」として面白く読ませるという意味では、著者のサービス精神が満点である。

全6巻、まさに一気読み…といきたいところだが、思うところ(というほどのものではないが)あって、月に一巻ずつぐらいで読み進める予定。2巻以降がとにかく楽しみ。

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「楽園」~物語る力

楽園 上 (1)

宮部みゆき「楽園」上下巻を読了。

「模倣犯」の広い意味での続編にして「理由」の縁戚とでも言おうか。著者のスーパーナチュラル趣味(というよりはS.キング思慕)と現代小説との高度な融合とも言えるかもしれない。

どこかで読んだような…と思いつつ、そして著者特有の登場人物の克明な来歴描写に少々辟易しかけつつ、気がつけば圧倒的な「語りの力」に押し流され、下巻途中からはページを繰る手が止まらない。そしてキングのあの名作へのオマージュであろうクライマックスを経て、二枚腰のエンディングを迎えるという構成の巧さに圧倒される。そしてさらに…(以下略)

いやはや、参りました。昨今のミステリーとしてはむしろおとなしい部類に入るかもしれないが、この重量感と充実感は水準を遙かに超えている。至福の読書時間であった。

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「青に候」~He is back!

青に候

去年の今頃読んだ「うしろ姿」の著者あとがきに、「この手の作品はこれが最後になります」という一文があり、その後の新作が気になっていたところに現れたのが本書なわけだが、なんと著者初の時代小説である。

読んでいるうちに、とてつもない懐かしさと嬉しさが込み上げてきた。これはまさしく初期の傑作群の世界ではないか! 自分という存在を扱いあぐね、過剰な自意識と自己嫌悪の間を彷徨い、しかし心惹かれる人への想いは抑えきれず……いやあ、いいなあ、これぞまさに、かつて我々を虜にしたシミタツの典型的ヒーローの姿である。

少々込み入ったプロット、端役に至るまで魅力的な登場人物、強烈なサスペンスに溢れる抒情、そして控えめながらもファン感涙の「志水節」…… ああ、今日まで読み続けてきて良かった(大げさ) まさにシミタツのセカンド・ブレーク、いや、「抒情の名手」も含めれば、サード・ブレイクである。

初期作品群のファンであれば、これはもう必読の傑作。そして本書で初めて志水辰夫を知った読者であれば、是非是非「飢えて狼」、「裂けて海峡」、「散る花もあり」、更には「狼でもなく」をお読みになることを。読まないと「なかんずく憎悪」しちゃうぞ!


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「サッカーの上の雲」

サッカーの上の雲―オダジマタカシサッカ~コラム大全

ベタといえばあまりにベタな題名の、本書の著者こそかの有名な「ヒキコモリ系コラムニスト」こと小田嶋隆@偉愚庵亭憮録である。

彼が2001年から2006年にかけてあちこちのメディアに書き散らかした、サッカー関連のコラムをまとめた貴重なる労作が本書だが、全編これサッカーと浦和レッズへの愛情に満ちあふれていて、読者はみな悶絶しつつ涙するに違いない(ややウソ) まあでも、とにかくオモシロかったっす。

ほぼ全コラムに添えられているイラストが秀逸。微妙なリアル感がたまらんです。「頭足人・オシム」の絵なんて、夢に出てきそうである(恐)

軽妙洒脱、時に挑発的、時に自虐的、だいたいにおいて脱力的な、魅力的コラムの数々。読んだ時間は無駄といえば無駄であるが、ほら、無駄こそが人生のスパイスってやつですよ←小田嶋風

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「ブラッカムの爆撃機」

ブラッカムの爆撃機―チャス・マッギルの幽霊/ぼくを作ったもの

ブラッカムの爆撃機―チャス・マッギルの幽霊/ぼくを作ったもの
」(ロバート・ウェストール、金原瑞人訳)

書店で見かけ、宮崎駿の表紙と、巻頭と巻末の同じく宮崎駿の解説(?)マンガに惹かれて本書を購入。

巻頭の宮崎駿「タインマスへの旅・前編」を読んでから本文へ。表題作「ブラッカムの爆撃機」に「チャス・マッギルの幽霊」、「ぼくを作ったもの」の三編が続き、その後に「タインマスへの旅・後編」、そして最後に評伝「ウェストールの生涯」という構成である。

第二次大戦中の、英国空軍によるドイツ爆撃というと、映画「メンフィス・ベル」(あれは米空軍のB-17での爆撃行だけど)あたりを連想してしまう。「タインマスへの旅・前編」での表題作紹介を読んでも、同じ種類の物語に思えるのだが、「ブラッカムの爆撃機」は中盤から思わぬ展開を見せる。

アイルランド人のベテラン機長と、彼に率いられた新米飛行兵達の造形は見事だし、旧式のウェリントン爆撃機(通称「ウィンピー」)による飛行と爆撃の描写も素晴らしい。そして中盤で起こる事件とその後の物語の恐ろしさ。短いながらも中味の濃い秀作である。

「チャス・マッギルの幽霊」は、同じく大戦中に親戚の旧家に疎開した少年と「幽霊」との出会いの物語。ただの怪談で終わるかと思いきや、ジャック・フィニイの時間もの小説のように、鮮やかにして心温まるラストが待っている。こちらもなかなかの佳品。

もうひとつ、「ぼくをつくったもの」は、自伝的色彩の濃い作品で、「ぼく」と祖父との思い出の一コマが、宮崎駿言うところの「失われたものへの哀惜」に満ちた筆致で描かれる。大きな事件は無いけれど、しみじみとした余韻の残る一編だ。

宮崎駿の「タインマスへの旅」は、作品世界の彼なりの解説という形にはなっているが、つまりはウェストールへのオマージュである。(宮崎駿はウェストールには会ったことがない) それとは別に、彼自身の生い立ちについて書かれた箇所があって、そこに「日本人ギライの日本軍大キライのおくれてきた戦時下の少年」と出てくる。偏屈王・宮崎駿の成り立ちを見た思いがする。

宮崎駿の力で売り込もうというやり方には、少なからず抵抗を覚えないではないが、ウェストールの作品そのものはとても良かったので、他の著作も読んでみたくなった。興味を持たれた方は、先ずは書店での立ち読みをオススメする←おいおい

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「グロテスク」~悪意の物語

グロテスク 上
桐野 夏生著
グロテスク 下
桐野 夏生著

桐野夏生「グロテスク」(文春文庫、上下巻)を読んだ。主要な登場人物は三人。ほぼ全編の語り手である「わたし」と、姉とはまるで似ていない怪物的な美貌を持つその妹ユリコ、そして「わたし」の名門女子高での同級生和恵。

ユリコと和恵は容貌も性格も違い、その歩む道も全く違ったのだが、三十代後半にして二人が辿り着いたのは、同じ渋谷の街娼であり、二人とも時を置かず殺されてしまう。二人を知る「わたし」が、自分の半生を語りながら二人のことも語るのだが、これがもう悪意の塊。底意地の悪い、偏見に満ちたその語り口が物凄い。

「わたし」の一人語りでは公平さを欠くとばかりに、ユリコの「手記」と和恵の「日記」も紹介されるが、それらにも絶望と混乱、そして憎しみが溢れている。

和恵のモデルは、有名な「東電OL殺人事件」の被害者ということなのだろうが、それにしても「日記」に描かれる彼女の二重生活は凄まじい。やがて昼と夜に分かれていた生活が、徐々に夜に浸食されていく。娼婦の濃い化粧のまま、何日も同じ洋服で出勤し、トイレで昼食を食べ、会議室の机の上で横になって昼寝する「エリートOL」。想像するだけで寒気がする。

三人ともがグロテスクな人生模様を描いているのだが、いずれもがフィクションと言い切れない生々しさで迫ってくる。ここまで極端でなければ、ちょっと似た人というのは、いくらでもいるように思えてしまうのだ。そしてそんなグロテスクな女たちを金で買い、弄び、捨てるか殺すかする男たちもまた、グロテスクな存在なのだろう。

悪意に満ちた醜い物語を、例によって圧倒的な筆力で描き尽くした大力作。参りました。

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ゲド戦記~4、5、外伝

ゲド戦記、初期3部作(再読)に続いて、後半2作と外伝(こちらは初読)を読了。うう、面白かったけど疲れた。

帰還
ル=グウィン作 / 清水 真砂子訳
アースシーの風
ル=グウィン作 / 清水 真砂子訳
ゲド戦記外伝
ル=グウィン作 / 清水 真砂子訳

物語内での時間的には、第3巻「さいはての島へ」の終盤にシンクロするかたちで、ゴントで暮らすテナーと養女テルーの様子からストーリーが開始される。アチュアンから脱出したテナーのその後、ゲドの帰還、アレン(レバンネン)の戴冠と物語は進むわけだが、とにかく文章の雰囲気が変わっているのに愕然とする。前半3部作が、格調高い一種の武勇伝であったことに比べて、なんという生々しさ! ある種の私小説的な現代文学の趣である。

前半3部作が「英雄伝」であったところから、一気にジェンダーの問題に深く踏み込み、ゲドの功績のみならずその存在にまで疑問を投げかけるという衝撃の展開。この流れは最終巻「アースシーの風」にまで続き、「ゲド戦記」世界の中核であるはずの、ローク島の学院と魔法使いの存在そのものにさえ、揺さぶりがかけられている。恐るべし、ル=グウィン。

これら後半2巻を物語的にも思考的にも補完するのが「外伝」である。実際に書かれたのは「帰還」と「アースシーの風」の間で、確かにそう思って読むと、最終巻がより理解しやすくなる。どのエピソードも物語的に素敵だが、特に冒頭の「カワウソ」は、神話の起源として読み応えがある。

後半3巻、物語としては確かに充分面白い。しかし、ここまで作者の問題意識が前面に出ているのであれば、文学としてよりもテクストとして、「楽しまずに」読み込むべきなのかもしれない。「児童文学」や「ファンタジー」の枠組みを大きく逸脱した後半3巻、これからどう読まれていくのだろう?

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「クラシックBOOK」ゲット!~絶賛平積み中

この一冊で読んで聴いて10倍楽しめる!クラシックBOOK―「世界の名曲&作曲家」の知識が深まる最強版!

発売開始からやや出遅れたものの、ヨドバシAkibaの有隣堂では文庫の新刊コーナーと音楽関係書籍コーナーの2カ所で平積み中なのを確認。若いOL風の女性達が、群がるように本書を手にとっては、次々にレジへと運んでいく(やや誇張) あ、でも僕が立ち読みしてる間に、2冊は売れてましたぜ、ダンナ。

ブログでの名調子はそのままに、あくまでクラシック初心者・入門者向けを意識しつつ、決して見下したり媚びたりしていないスタンスが絶妙。各作曲家のエピソードはもちろん知ってるものが多いのだけれど、それでも僕は楽しんで読んだ。つーか笑いました。惜しむらくは須栗屋敏先生のプロフィール紹介が無かったことぐらいだろうか(笑) 敬愛してます、須栗屋敏先生。

おまけのミニCDだが、茂木大輔氏の選曲は、超有名曲は押さえつつも、微妙にツウっぽい曲もあったりして、なかなか味わい深い。ミニとはいえ収録時間は約30分と、お得感高である。プレゼントにも最適、と軽く応援モードで推薦してしまおう。効果あるかどうか不明だが(汗)

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再読「ゲド戦記」1~3

昨夏話題となったジブリ版「ゲド戦記」は見逃しているのだが、娘が原作を読みたがったので、実家から昔読んだ自分の蔵書を発掘。僕がこの本を買って読んだのは、実に今から25年ほど前ということになる。恐るべし。で、年末からこちら、自分でも25年ぶりに再読してみた。

(ところで、当時は3巻までしか発行されていなかったので、とりあえず初期3部作が再読、4巻以降は初読となる)


影との戦い
ル=グウィン作 / 清水 真砂子訳

こわれた腕環
ル=グウィン作 / 清水 真砂子訳
さいはての島へ
ル=グウィン作 / 清水 真砂子訳


「さいはての島へ」での訳者あとがきによれば、「影との戦い」が人間の光と影の相克、「こわれた腕環」が自由と隷属の問題、そして「さいはての島へ」が生と死を扱っているという。うーむ、かつて読んだ際は、ただただ物語の面白さに圧倒されていた記憶があって、そんな深遠な問題になど、まるで考えが及んでいなかったような気がする。単純に僕自身の読者レベルが低すぎたということかもしれないが、それにしても、これらを「児童文学」扱いするのは、いいような悪いような。まあ、大人になって再読すればいいことなんだろうとは思うが…

それにしても、3作中、特に「影との戦い」の面白さは抜群だ。アースシーという完璧に構築された小説世界と、そこにいる市井の人々と魔法使いという存在の自然さ。「魔法だから何でもあり」ではない世界の設定バランスが、実にいい。

続く「こわれた腕環」では、物語の中心人物がゲドではないという、意表をつく設定と、地下の大迷宮という強烈なサスペンスが秀逸。テナーとゲド、それぞれがなんと魅力的であることか。

そして「さいはての島へ」での、死と生についてゲドが語る言葉の深遠さ。この歳の自分にとってさえ、あまりに深すぎて理解しきれなかったように思う。そのせいかどうか、本書にはやたらと時間がかかってしまった。

こんな感じで、3作ともしっかりと楽しんで読めた。繰り返すが、児童文学だなんて、とんでもない。10代のうちに読んでおくべき作品だとは思うが、その後、人生のステージのどこかで、再読してみるべきだと思う。人生でまだこの本を読んでない方は、今すぐどうぞ。で、再読は老後の楽しみってことでいかがかと。

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「モリー先生との火曜日」~今日かい、小鳥さん?

巡回先に「さとなお」氏のサイトがある。僕と同年代ということもあって親近感を覚えつつ、そしてその旺盛な好奇心と食欲(笑)をリスペクトしつつ、楽しく読ませてもらっている。

彼のコラムで紹介されていた「モリー先生との火曜日」という本を読んでみた。

モリー先生との火曜日
ミッチ・アルボム著 / 別宮 貞徳訳
(本書の内容については、上記さとなお氏のコラムに実に見事にまとめられている)

「人生と死の意味」については、ある時は葉っぱが語り、ある時は雪のひとひらが語ってきた。本書でそれについて語るのは、今は死の床にある大学教授・モリー先生。彼の人生最後の講義は、とてもシンプルだけれど、本当に理解するのはとても難しい。しかし、真実は変わらない・・・「人は皆、いつか死ぬ」  そこで彼の教えが生まれる。

「今日なのかな、小鳥さん? 今日かい?」

毎日、とは言わない。月に一度、せめて年に数回、こんなふうに自分に問いかける勇気を持とう。そういうことを考えてもいい頃合いだ。

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「システム手帳の極意」~達人への道は険し

先日、ちょっと久しぶりに本屋を徘徊したのだが、目立つ場所にばっちりと来年度の手帳コーナーが設けられていたのに軽くショック。そうか、もうそんな時期か。(ついでに、別の場所には年賀状作成ソフト(ムック)のコーナーもあった。うう、今から憂鬱だ)

昨年の今頃、それまで使っていた「超整理手帳」からシステム手帳の「Bindex-Slim」に乗り換えたのだが、その際参考にさせてもらったのが、同じ著者の前作「システム手帳新入門!」である。本書はその続編、というよりは、前作のバージョンアップ版といった印象である。(と言っても、内容がダブっているわけではないので、前作から順に読んだほうが、理解は深まるかと)

対象としている読者は、手帳選びに迷っている人よりは、既にシステム手帳にしようと思っている(あるいは既に購入・使用している)人で、より効果的なノウハウを得たいと考えている人たちだろう。紹介されているノウハウの有益度には、もちろん個人差があるとは思うが、体系的なTips集としてのまとまりの良さは、この種の書籍ならではだろう。参考書として手元に置くだけの価値はある。

いわゆる「手帳ブーム」というのは、一昨年あたりからの現象だと思うのだが、手帳というのは道具としてもガジェットとしても、実に奥深くて面白い。著者の言う通り、「手帳に時間をかけ過ぎる本末転倒」に陥らないようにだけは、気をつけねば。

さて、来年用のリフィルを買わないと!

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「勝者の決断」

勝者の決断
半藤 一利著 / 童門 冬二著 / 成 君憶著 / 後 正武著 / 松岡 正剛著 / 中条 高徳著 / 矢沢 元著

古今の戦史から、「参謀」という存在と機能にスポットをあて、その切り口で七人の作家・評論家が著した文章をまとめたもの。ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー誌に連載されたものの編集本である。

しばらく前に読んだ「戦略の本質」が面白かったので、その連想からのチョイスだったのだが、残念ながら一冊の書籍としては、別次元の本であった。

各章の担当者は、それぞれ自分の守備範囲の戦史を中心に論を展開するわけだが、これといった目新しさは当然無く、なんというか、語り慣れた講演を、ルーチンに繰り返しているような印象であった。

各著者の十八番を聞く(読む)という意味では安心だが、その分論考の斬新さや奥深さが感じられない。本書はあくまでも各担当者の研究のエッセンスをまとめたもので、興味があるものについては、その著者のその他の著作にあたるべき、ということなのだろう。

新聞広告とどこかの雑誌で目にした書評だけで、この本をネットで注文してしまったのだが、やはり一度は手にとって、さっと目を通すべきであった。不覚。

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「川の名前」~傑作! 最強夏休み小説

川の名前
川端 裕人著

子供時代に川や池で遊んだことのない男の子なんて、いるだろうか? 思い返せば、水辺はいつでもちょっぴり危険で、それだけ魅力的な遊び場だった。で、本作である。

「小学五年生の脩は、クラスの友人達と共に、近所の川を夏休みの自由研究の課題に選んだ。そこでのある発見が、思いがけない大冒険へと発展していく・・・」

あー、もうこれ以上は何も書けない。あらすじなんか知らなくてもいい。余計な予備知識は少なければ少ないほど楽しめる作品だと思うので、書評なんかには目もくれずに、まずは本編を読むことをオススメする。

と言いつつ書いちゃうが、これは少年達のひと夏の冒険物語であり、同時に彼らの成長の物語である。となると、たとえばあんな小説こんな映画を思い浮かべたりしてしまうわけだが、その通り、その連想は大変正しい。本作も、まさにそれらと肩を並べうる作品だと思う。

一見、あまりにも単純な書名だが、作中でその深い意味が明かされる。その時読者はきっと、自分が知っているべき「川の名前」は何なのか、しみじみと考え込むことだろう。

冒頭から引き込まれてしまうが、中盤以降はまさに一気呵成のクライマックス。感動、興奮、感涙。男の子と元・男の子必読の「最強夏休み小説」である。大推薦。

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スピレイン死す

スピレインが亡くなった・・・というニュースに接して驚いたのは、誠に不謹慎ながら、「え、まだ生きてたの?」と思ったからだ。

ニュース記事によると、スピレインは1918年生まれで今年88歳とのこと。「裁くのは俺だ」で華々しくデビューしたのが1947年だそうだから、29歳の時ということになる。で、30代から40代にかけてマイク・ハマー・シリーズを中心に、派手に活躍してたわけだが、80年代以降は、ほとんど現役作家としての評判を聞かなくなっていたように思う。確かに、東西冷戦が終結してしまうと、「アカ嫌い」キャラのマイク・ハマーは、少々肩身が狭くなってしまったのだろう。

僕自身はマイク・ハマーのシリーズはほとんど読んでいると思うのだが、さっきbk1で見てみたら、ほとんどの作品が今では絶版状態のようだ。作品の傾向から考えて、全作品が再発されることは恐らく無いとは思うが、デビュー作の「裁くのは俺だ」ぐらいは、ハヤカワ文庫で重版してもいいと思うのだが。

その「裁くのは俺だ」の映画化作品、「探偵マイク・ハマー 俺が掟だ」は、B級アクション映画としては屈指の名作である。こちらもVHSは既に廃盤で、DVD化もまだのようだ。

スピレインも彼の作品も、既に過去のものとなっているが、彼の創造した「マイク・ハマー」という存在だけは、いまだにあちこちで生き残っている。合掌。

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「白夜行」~真っ白な闇

白夜行
東野 圭吾著

文庫本を手にとってびっくり、文字通り圧巻の850ページである。(持ち歩くことを考えたら、分冊がありがたかったのだが、それはまあ、どうでもいい)

昭和48年(1973年)、大阪で起きた一つの殺人事件を発端に、その事件に関わった少女と少年の、その後の人生の物語。ストーリーの骨子は、かなり早い段階で推察できるのだが、そんな謎解きよりも、二人がそれぞれどちらの方向に向かって、どうやって歩いていくのかについての語りに引き込まれる。二人の成長と、彼らをめぐるエピソードには、その時々の世相が巧みに織り込まれ、まるで一種の大河ドラマのようだ。

語り方ですごいのは、作者が決して二人の心中に入り込まないことだ。エピソードは常に二人以外の視点で語られ、ぶれることがない。徹底して外部から描写される二人の姿と、少しずつ暴かれるその軌跡の、なんと苛酷なことか。作中、書名を暗示させる台詞が、二人の口から別の時間と場所で語られるのだが、表現の仕方こそ違うものの、同じ思いから出るその言葉は、あまりに哀しい。

ストーリーテリングの巧みさに加え、パズルの断片が埋まっていくカタルシスはあるものの、その全体像がなかなか浮かび上がってこないという構成の精緻さも、この作品の魅力だろう。恐るべき傑作である。

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「うしろ姿」~最後の作品?

うしろ姿
志水 辰夫著

(Amazonのリンクはこちら

近年はすっかり「抒情の名手」となったうえ、生きいそいだ挙げ句に負け犬になって男坂を下ったりする人々ばかりを描き続けている著者の、まさに「人生の黄昏シリーズ・最終編」みたいな短編集である。

収められた7編の物語は、どれも丁寧に作り込まれており、格調高く、味わい深い。恐らくは長編小説に値するであろう物語を持つ登場人物達の、人生の黄昏時を短編に切り取られた「うしろ姿」が、シミタツらしく、ややひねたスタイルで描かれている。ところどころに用意された小さなサスペンスやサプライズは、オールドファンを少なからず喜ばせることだろう。このタイプの作品群の中では、とてもバランスのとれた佳品だと思う。

しかし、本編もさることながら、本書での読みどころは、著者自身による「あとがき」である。本(小説)を巡る現状への失望と危機感、自分自身を振り返っての絶望感、そして行間に漂う反骨の意志・・・ 著者の、「この手の作品はこれが最後になります」という言葉を、我々読者はどう受け止めればいいのだろう?

著者のホームーページによれば、どうやら新作に取りかかっているようだから、少なくとも引退宣言では無さそうだ。あんな宣言をしたうえでの新作が、どんな作品になるのか、今から楽しみだ。(やっぱり抒情派短編でした、ってのはナシね)

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「停電の夜に」~向田邦子マサラ風味

停電の夜に
ジュンパ・ラヒリ〔著〕 / 小川 高義訳

(Amazonのリンクはこちら

なんて豊かな物語たちだろう! 短編集でありながら、一編一編に拡がりと深みがあり、まさに「豊饒」と形容したくなるような物語ばかりだ。ピューリッツァー賞受賞も、充分に納得できる。

なんでもない日常の、ほんの一時期をすくい上げて、そこに濃密な世界を描き出す手腕は、ちょっと向田邦子を連想させる。それに加えて、著者の母国であるインドの風習や文化がさりげなく挟み込まれ、まるでスパイスのような効果をあげている。そしてまた、インド自体は大国であるけれど、祖国を離れたインドの人々が、マイノリティとしてイギリスやアメリカで生活する、その微妙な機微の描かれ方も絶妙だ。

泣けるとか感動するとか、そういう安直なリアクションではなく、微かな痛みと共に、心の奥底に小石が沈み込むのが感じられるような、繊細にして密度の濃い感覚を味わえた。充実の名品群である。必読。

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「社長の力」、「ベスト・プラクティス経営」~ワンパターン

参加している某異業種交流会の勉強会テキストで、本書を読んだ。経営コンサルタントのアタックス・グループパートナーの手になる、まあ、良くあるタイプの事例研究&経営戦略提言的な内容の本である。

前半部の、個々の企業の事例は、それぞれ具体的かつ示唆に富んでおり、同業種あるいは同業態の読者であれば、かなり参考になると思う。(僕自身は、シイエム・シイ社の事例を面白く読んだ)

後半部のまとめは、それほど目新しいものではないが、コンサルタントらしく読みやすく簡潔にまとまっているので、参考書としては良くできた部類だと思う。

*********

もう一冊、同じコンサルタントグループの別パートナーが著した「ベスト・プラクティス経営」も読んだが、基本的には「社長の力」と同様、事例研究&経営戦略提言の一冊。(現在は販売していないらしい)

コンサルタントが、成功している自社のクライアントに取材していられる限りは、同じような本がいくらでも出てくるのだろう。正直、このパターンの本には飽きてきているのだが、事例自体は個々に違うし、その内容も参考になることが多いので、全てスルーってのももったいなく思えてしまう。困ったもんだ。

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「戦略の本質」

戦略の本質
野中 郁次郎著 / 戸部 良一著 / 鎌田 伸一著 / 寺本 義也著 / 杉之尾 宜生著 / 村井 友秀著

かつてのベストセラーにして、現在も推薦図書によく書名のあがる「失敗の本質」の執筆メンバーが、中断期間を含めて、実に20年の歳月を費やして完成させた姉妹編が本書である。

基本的には戦史研究の書であるのだが、本書では以下の六つの事例が取り上げられている:

・毛沢東の反「包囲討伐」戦
・「バトル・オブ・ブリテン」
・スターリングラード攻防戦
・朝鮮戦争
・第四次中東戦争
・ベトナム戦争

どの事例も、案外知っているようで知らないことが多く、戦史として整理された内容で読むと、いずれも実に興味深い。なお、すべての事例に共通するのは、どれも「逆転の事例」だったことであり、そのコンセプトに沿ったアナリシスも、それぞれに説得力がある。

しかし、やはり本書の圧巻は「戦略の本質」と題された終章の、「10の命題」にある。それぞれの事例で、逆転を可能にした戦略には共通点があるのだが、その最大のものはリーダーシップにあるというのだ。

優れた戦略的リーダーには、「理想主義的リアリズム」が必要とされる、と本書では述べている。この一見矛盾した形容こそが、戦略の本質を表しているというのが、本書での主張である。

上述した「10の命題」は、やや難解ながらも、いずれも示唆に富んでいる。自分にとっては、座右に置いて熟読玩味すべき一冊となった。

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「マネー、マネー、マネー」~チェンジズ・エブリシング?

マネー、マネー、マネー
エド・マクベイン著 / 山本 博訳

87分署シリーズの長編第51作目の本書は、プロットから登場人物からストーリーそのものまで、全てがスケールアップ。とにかくなんでも盛りだくさんって感じである。

例によって複数の事件が平行して語られる、「モジュラー型」のストーリー展開なのだが、今回はそれらの事件が大なり小なりどこかで関連していて、ハナシについていくのに少々苦労する(汗) とはいえ、もちろん個々のエピソードは面白いので、スイスイ読めるのは確かだ。

基本ストーリーは、麻薬取引をめぐるいざこざと、そこで扱われる巨額のカネ、そしてそのカネがどこへ何のために流れていくのかの謎解きだ。当然、あまりにもカネの流れのスケールが大きすぎて、キャレラ達には事件の全貌はとても把握できない。世界がどんな陰謀に満ちていようと、キャレラ達警官の仕事は、目の前の事件を解決することだけだ。

このところ出番の多い、お隣88分署の「でぶのオリー」は、今回も準主役級の働き。窮地に陥りかけたキャレラを救ったり、刑事物のスリラーを書いて、出版社に売り込もうと考えたり、大車輪の活躍振りだ。次作「でぶのオリーの原稿」では、ついに主役に躍り出るのだろうか?

ところで、本作には珍しくマクベインの序文がある。それによると、本書が執筆されたのは2000年のことで、出版されたのは2001年9月、9.11テロの直前だったそうだ。本書にはそれを予言するかのように、モスレムによるテロの計画をめぐるエピソードも登場する。現代のアメリカにおける組織犯罪は、どこかで別の世界とつながっているようだ。

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「牛乳の作法」~良く振って読め

牛乳の作法
宮沢 章夫著

愛読している宮沢章夫のエッセイ、文庫としては最新刊である。

例の如く「爆笑不条理エッセイ」は健在で、相変わらず笑かしてもらえるのだが、本書ではそれら爆笑系エッセイと並んで、かなり真面目な(笑)評論というか批評文も数多く収録されている。

評論文のほうは、こちらにその対象についての知識がほとんど無いので、正直なところ良く分からなかった。それでも、どの評論も宮沢章夫らしい着眼点のユニークさというか、ツッコミどころの面白さみたいなものがあって、文章として読みがいがある。

印象に残ったのが、坪内逍遙を論じた文庫で40ページほどの評論だ。この評論の冒頭で、逍遙の訳した「ハムレット」の台詞が出てくる。有名な「尼寺へ行け」の部分だ。

ハム「こりや寺へ往きや寺へ。」

「いったいどんなハムレットだ」と突っ込んでおいてから、逍遙のシェークスピア訳業が、いかに現代的であるかにういてが考察されていく。

「爆笑系」から、やや「ニヤニヤ系」へとシフトした感じの本書だが、ファンであれば面白く読める。あ、タイトルの「牛乳の作法」はかなり笑えた。やっぱり電車の中で読むのは危険である。

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「邪恋」~大人の苦さ

邪恋
藤田 宜永著

藤田宜永の恋愛小説を読む楽しみのひとつに、主人公の一風変わった職業の設定があるのだが、この「邪恋」の主人公・笹森の職業は、なんと義肢装具士である。ただ、この職業がちゃんと小説の本筋に絡んでいるところが秀逸である。

事故で片方の下肢を失った女性・美弥子と、彼女の義足を受け持つことになった笹森との恋の行方をメインストーリーに、彼と周囲の女性達(自身の妻も含め)との様々な関係が、複雑なタペストリーのように一編の景色を描き出していく。

著者の他の作品と同様に、これといったミステリやサスペンスもないにもかかわらず、全編が秘密めいた妖しげな空気に満ちている。恋愛小説というよりは、ある種の心理小説として読んでもいいのかもしれない。

作中に出てくる「幻肢」という現象と、それをめぐるエピソードが、何故だかいやにリアルに感じられる。大人のための、濃い苦さに満ちた「恋愛小説」である。

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「芥川龍之介全集2」

芥川龍之介全集〈2〉

bk1だと本書の画像が無いので、上の画像リンクはamazonにしておいた)

本書での有名どころというと、「地獄変」、「蜘蛛の糸」、「奉教人の死」といったところか。

二巻まで読んでみて思ったのだが、ほとんどの作品で、芥川はアンビバレントな感情の発露を描いている。単純に黒白つけられない結末ゆえに、作品の後味はすっきりせずに、ざらっとした余韻を残す。この巻でいえば、「或日の大石内蔵助」などが典型だろう。全集はまだあと四巻を残しているが、恐らくは同様なモチーフが追求されていくのだろうと想像される。

本巻中の白眉はやはり「地獄変」だろう。何十年ぶりかに読み返して気づいたのだが、絵師の娘を生きながら火にかけたのは、大殿様だったのだな。どういうわけか、絵師自身だと思いこんでいた。そうなると、焼かれていく娘の姿を絵に写す絵師の心の闇が、よりいっそうどす黒いものに思えてくる。恐ろしい小説だ。

ちょっと面白かったのが「あの頃の自分の事」。自らの学生時代を振り返っての散文だが、芥川をはじめとする、早熟な秀才たちが学生生活を謳歌する姿とともに、当時の文学界の状況がうかがえて興味深い。

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月に一巻・・・ともくろんでいたが、早くもペースダウン。二ヶ月に一巻で、一年がかりになりそうだ。

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「春の祭典」をめぐる~「名曲をめぐる」より

(承前)

「春の祭典」初演時の騒動は良く知られているところだが、その晩のことについて、コクトーが書いたとされる文章が「名曲をめぐる」に紹介されているので、以下、引用してみる:

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 ストラヴィンスキイ、ニジンスキイ、ディアギレフの三人と一しょにコクトーが劇場を出たのは朝の二時でした。そして四人は辻馬車の中に目白押しになってブーローニュの公園へ行ったのです。そのときのことを回想しながら、コクトーはこう書いています。

 だれも黙っていた、夜は爽やかだった。アカシアの匂いにわれわれは最初の樹々をみとめた。池に着いたとき、こもりねずみの毛皮にくるまりながらディアギレフはロシヤ語で微吟しはじめた。僕はストラヴィンスキイとニジンスキイがそれに聞き入っていることを感じた。馭者が提灯をつけると、この興行主の顔には涙が見えた。彼はゆっくりといつまでも微吟しつづけた。
「なに?」と僕はたずねた。
「プーシキン。」
 ふたたび長い沈黙があった。それからディアギレフはまた短い句をつぶやいた。すると二人の隣人の感動は、その理由を知るために僕が口を挿まずにいられなかったほど著しいようだった。
 「訳しにくい。じつに訳しにくいんです。あんまりロシヤ語すぎる。あんまりロシヤ語すぎる。そうですね、島へ旅したいのかとでも訳すんでしょう。うむ、そうなんです。だが、なにしろロシヤ語すぎますね。なぜかというと、ロシヤでは今夜われわれが公園へきたように島へ行くんです。そしてわれわれが春の祭典を考えついたのは、その島へ行く途中だったのです」とストラヴィンスキイはいった。
 はじめてこの晩のスキャンダルがほのめかされた。われわれは明けがたに宿に帰った。これらの人たちの優しみと郷愁を想像することは諸君にはむずかしい。その後ディアギレフが何をしたろうとも、ブーローニュの公園でプーシキンを誦したあとの辻馬車の中の、涙に濡れた彼の大きな顔を僕は永久に忘れないだろう。

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ディアギレフが口ずさんだプーシキンが、なんという詩のことなのか、僕は未だに知らずにいる。