サリンジャーの思い出

年末年始の挨拶もないまま、どうblog復帰しようか迷いつつ、あっという間に今年も2月である。でもって、ようやくの初エントリがサリンジャーの訃報に接してとなるとは…

思い起こせば高校生の頃、「ライ麦畑」は題名だけは知っていたが本を手に取る機会がなかったのだが、ちょっとした巡り合わせで原書を先に読んだのであった。でもって、これが良く言われるところなんだが、「最後までちゃんと読めた」んである。内容は恐らく半分も理解できなかったと思うのだが、あの文章のリズムに乗せられて、思いがけずすいすい読めてしまった。その後同じような原書読破体験が無いことを思うと、やはりあの文章は破格だったのだろう。

原書読破後に野崎孝訳の「ライ麦畑」を読んで、ようやく内容が把握できたんだが、その後「ナイン・ストーリーズ」、「フラニーとゾーイー」、「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」、「シーモア-序章」と読み進め、そして読み返したりした挙げ句、卒論ではサリンジャーを扱うことになったのであった。(当然、これも良くあるパターンっぽい)

サリンジャーがモデルと思われる映画「小説家を見つけたら」のように、最晩年になって姿を現し、世間を驚かせてくれることを僅かながら期待していたのだが、それもかなわぬ夢となってしまった。遺作(というか死後発表予定の作品)らしきものがあるとのことだが、あえて出版を希望する気にはならない。「ライ麦畑」や「グラース・サーガ」を上回る大傑作が眠ったままであると信じつつ、しみじみとサリンジャーを追悼できればそれでいい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ローマ人の物語:危機と克服」~折り返し点通過

一年ちょっと前から読み始めた塩野七生「ローマ人の物語」(文庫版)であるが、一月おきぐらいに単行本一巻相当分くらいを読み進めてきて、昨日「危機と克服」(上中下)を読み終えた。

ローマ人の物語〈21〉危機と克服〈上〉 (新潮文庫)

単行本は既に完結していて、番外編というか後日談である「ローマ亡き後の地中海世界」を除くと、全15巻という構成になっている。文庫版では単行本各巻を2~3分冊にして発刊しているので、トータル42、3冊ぐらいになるんだろうか。(単行本はまだ3巻ほど未文庫化である) 今回読了した「危機と克服」は単行本では第8巻にあたるので、ちょうど折り返し点にあたるわけである。

前巻の「悪名高き皇帝たち」 (新潮文庫)ではネロとかカリグラ(カリギュラ)とか、まさに悪名高い皇帝たちが描かれていたが、本作ではその後ころころと帝位を譲り渡した愚帝というかジミ帝(笑)諸兄が描かれている。

相変わらずの塩野節というか、あちこちに著者のツッコミが出てきて面白いのだが、「カエサルLove」の彼女に二言目には「カエサルはああだった、カエサルはこうした。それに比べて…」と言われては、天上(あるいは地下)の歴代皇帝達もさぞかし面白くないことだろう。

それはともかく、まさしくカエサル以後、文字通りの世界帝国として君臨したローマが、共和制ではなく帝政こそがその強大な版図の統治に相応しいと自らが選び、たとえ愚帝を戴いた時期があったにせよ、帝国そのものの根本が揺らがなかったというのは驚嘆すべき史実であろう。人類は過去二千年で、いったいどれくらい進歩したというのだろう?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フランク・マコート死去

フランク・マコートが亡くなった

リンク先の記事にある通り、本人の自伝的小説「アンジェラの灰」でピューリッツァー賞を受賞した作家である。

この本、前から読んでみようと思っていたのだが、いつの間にやらハードカバー版も文庫版も絶版になってしまっていた。それがつい数ヶ月前、ぶらりと寄ったブックオフで文庫版を見つけたので即購入、読了したのである。

アンジェラの灰 (上) (新潮文庫)

(上の画像は文庫版上巻、ただし現在は絶版)

貧しいアイルランド人一家の物語なんだが、その貧しさたるやまさしく半端ではない。父親は飲んだくれで定職も無く、たまに日銭が入れば家に帰る前に酒代に化けてしまう。母親は文句を言うばかりで生活力が無く、おまけにカトリックの夫婦ゆえ、気がつけば子どもが増えていき、さらにその子どもらがあっさりと天に召されていく。

どこからどう見ても悲惨な生活なのだが、それでもフランク少年の毎日は輝いていた。飲んだくれの父親が口ずさむアイルランドの歌を愛し、あちこちで出会うたいてはろくでもない大人たちから常に何かを学び取り、毎日を懸命に生きていく。それは彼が常にユーモアのセンスを失わないからであり、そのキャラクターがそのまま文章となって、読者を泣き笑いさせながら上下巻を一気に読ませてしまうのだ。

こんな名作が絶版とは惜しい限りだ。続編の「アンジェラの祈り」はハードカバー版のみが出版されているが、こちらも既に絶版っぽいから、おそらく文庫化も難しかろう。ブックオフで見つけたら即買いで正解である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「わたしたちの帽子」

わたしたちの帽子

わたしたちの帽子(高楼方子)

下の娘(小三)が学校の図書館で本書を借りてきて読んでいたのだが、読み終えた後に「面白かった!」とやたらと興奮しているので、僕も読ませてもらったのだが…

おおお、これは素晴らしい! 主人公が小学生の女の子だし、主要な登場人物がほとんど女性だから、恐らくはうちの子みたいに小学生の女の子に最も波長の合う物語なんだろうとは思うが、オヤジが読んでも充分に面白くて心に残る作品である。

物語の雰囲気自体は、日常からちょっとはずれた不思議な物語…なんだが、これが単純な超自然ファンタジーじゃないところが素晴らしい。そうなんだよ、なんでも魔法やら超能力(タイムスリップとか)やらを出せば面白くなるわけではないのだ。なさそうでありそうで、でもやっぱりないだろうけど、ほんとにあったらいいなぁ、という物語。本書で物語の面白さに目覚める子どもは、きっとたくさんいるに違いない。力強くオススメである。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

「スペインの貴婦人」~復習と予習

インフルエンザ・ウイルス スペインの貴婦人―スペイン風邪が荒れ狂った120日

新型インフルエンザがパンデミック直前だとか騒がれている今日この頃であるが、20世紀初頭に大流行したインフルエンザ、いわゆる「スペイン風邪」のルポでも読んで心構えしようと本書をひもといた。

うわ、しかしとんでもないな、これ。通称「スペインの貴婦人(Spanish Lady)」に罹患したと推定されるのは、当時の世界の人口20億人のおよそ半分、10億人。死亡者数は資料によって違いがあるようだが、本書ではおよそ2100万人と推計されている。単純計算で当時の全人口の1%が、このインフルエンザに命を奪われたわけだ。仮に現在の世界人口を60億人とすれば、致死率1%で実に6000万人が亡くなる計算になる。

もちろん衛生状態とか医療制度・設備なんかは当時とは比較にならないから、万一パンデミックに至ったとしても、上記のような数字にはならないと思われはするが、それでも各国で10万人単位の犠牲者が出る可能性は充分にある。

本書に戻ると、これは「スペイン風邪」の発症から鎮静までのおよそ4ヶ月間を描いたドキュメントである。大陸間の移動は船舶なわけだが、インフルエンザ発症者を乗せた船が停泊するたびに、その土地にウィルスを撒き散らしていく過程が恐ろしい。水際での検疫を実施していた港があったにもかかわらず、である。航空機時代の現代にあって、水際防止がいかに困難かは、この事例をもってしても明らかだ。

これはあくまでも「スペインの貴婦人」の猛威の記録であるから、今日の新型インフルエンザ流行に関して何か有益な情報を提供してくれるわけではない。とはいえ、この種のインフルエンザ・ウィルスがどれほどの猛威をふるったのかは、知っておいても損は無いだろう。

それともうひとつ。「スペインの貴婦人」流行時には、人類はインフルエンザ・ウィルスに対してほとんど無力だったわけだが、それ故に人類共通の敵に向かって、各国が、各個人が力を合わせて立ち向かおうとするに至ったことには感慨を覚えた。

*********

来るべきパンデミックに備えて、というわけで「ほぼ日刊イトイ新聞」での特集「新型インフルエンザの基礎知識」を見つけたが、こちらは直接的に参考になることばかりである。「手洗い、うがいの励行」が「スペイン風邪」流行の産物とは初めて知った。「スペイン風邪」を復習しつつ、「新型インフルエンザ」の予習をしておこう!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「海竜めざめる」

海竜めざめる (ボクラノエスエフ 1)


小学生の頃に夢中で読んだ(と言ってもシリーズの一部だが)岩崎書店の旧「SFこども図書館」(全26巻)は、現在「冒険ファンタジー名作選」(全20巻)として復刊されている。復刊シリーズに収められていない6作品のうちの、僕自身も読んで印象深かった「深海の宇宙怪物」が「海竜めざめる」として復刊された。

…と言いたいところなのだが、この復刊作品、少々ややこしい成り立ちをしていて、星新一が訳した原典版「海竜めざめる」に、「SFこども図書館」版で使われた長新太の挿絵をドッキングさせたものである。でもってやはりこの長新太の挿絵が素晴らしい! なんとものどかで牧歌的な画風なのだが、物語の要所要所の場面を実にうまくイラスト化している。「そうそう、この絵だった!」と小学生時代の記憶が呼び覚まされたのであった。星新一の訳文もスマートで、この組み合わせは確かに大正解だろう。

ストーリーは単純なんだが、「宇宙戦争」みたいな派手派手しいドンパチは無いし、「アルマゲドン」みたいなスペクタクルも「アイアムレジェンド」みたいなグロテスクさも無い。あくまで淡々と静かに、人類が破滅の淵へと向かっていく様子が描かれているのが恐ろしくリアルだ。

宇宙からの侵略がテーマではあるが、もしかしたら今日的な環境破壊とか温暖化とかのメタファーとして読むことも可能であろう。そういう意味では恐ろしく予言的(原著の発行は1953年)な作品である。今回は偕成社から「ボクラノSF」というシリーズの一冊として復刊されたのだが、大人の読書にも充分耐えうる名作である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「4TEEN」

4TEEN (新潮文庫)

「ふーん、これが直木賞受賞作かぁ」と読み進めるものの、何とも言えない違和感で落ち着かないこと甚だしい。僕が中学生の頃には、こんな14歳は周囲にいなかったし、恐らく今現在にだっていないだろう。なんたるリアリティの無さ、空想だけの産物、お気楽な連作集か…という評価が自分の中で固まったと思ったのだが、なぜか読後に「腑に落ちて」しまったのだった。

僕自身は、語り手である主人公たちが遭遇するような事件にはでくわしたことがないし、自分や周囲が驚くような恋愛もなければ、身近な人の死も無かった。恐らくは「何もなかった」中学生時代であるわけだが、それゆえにこそ、我々は「いや、中学んときは結構いろいろあったんだよ、俺も」と言いたくなるのだろう。内田樹言うところの「集団模造記憶」みたいなもんだ。

「4TEEN」を読んだ自分は、「こんな中学生いねーよ」と思いつつ、どこかで憧れを抱きつつ想像するのだ。「もし自分が今この時代に14歳だったとしたら、こいつらみたいになれたかもしれない」と。

今の14歳(あるいは10代)が読んでも、たぶん面白くない。「模造記憶」付きでしか14歳を回想できない大人こそが、この作品の読者に相応しい。というわけで、うん、かなり恥ずかしかったけど、オジサンには面白かったよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ぼくの羊をさがして」

ぼくの羊をさがして

以前、新聞の書評だったかで高評価だったのを見て読んでみた、「ぼくの羊をさがして」

主人公はボーダーコリーの子犬。とある羊牧場の牧羊犬一家に生まれ、早く一人前になって成犬達と共に羊を追いまくりたい日々を送っていたところ、ある事件がきっかけで牧場を離れて放浪する羽目に陥る。

その後の波瀾万丈の冒険行はそれなりに面白く、主人公(犬)である子犬の一人語りも微笑ましい。終盤の少々ご都合主義的な大団円は、まあ児童文学だから許してしまおう。がしかし、あちらこちらに出てくる教訓めいた文章は、ヒネた大人には少々うるさったい。ってゆーか、これじゃ子どもが読んでも、さすがに説教臭く感じてしまうんじゃないだろうか。

こういう本を読むと、なんかもう今時の「児童文学」ってのは、ダメになっちゃってるんじゃないかと心配になってくる。もっとも、もしかしたら「児童文学」じゃなくて、アメリカ発の「ビジネス寓話」みたいな読み方をするのが正解なのかもしれないが。

同じようなストーリーの作品としては、我が国動物文学の大家である戸川幸夫の「のら犬物語」のほうがはるかに面白く、また説教臭さを感じさせずに、動物への愛情とか、仕事への取り組みとか、そういった教訓を伝えてくれると思う。犬好きな方は是非一読を。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「出星前夜」~待った、読んだ、泣いた

出星前夜

出星前夜」(飯島和一、小学館)

前作「黄金旅風」発表からおよそ四年を経ての新作である本作は、その前作から時代的には引き継がれる形での物語となっている。

九州島原の地での圧政に苦しむ農民たちが、既に禁制となっていたキリスト教を復活させ、絶望的な反乱を起こし、それがついに「島原の乱」へとつながっていく。史実によるまでもなく、農民蜂起が敗北に終わるのは必然であり、つまりは「敗者の物語」であるわけだが、それを単純な悲劇や、戦闘のスペクタクルに仕立て上げないところがこの作者らしい。

作者・飯島和一は、この作品では徹頭徹尾怒っている。幕藩体制の維持だけを目的として国家を運営する徳川幕府に対して、その幕府に姑息なまでに媚びへつらい、挙げ句に領民を極限まで搾取する藩主に対して、そして更にそうした圧政に、絶望からの暴走のみにしか希望を見いだせない農民に対して。そしてその怒りは、間違いなく現代の日本そのものへの怒りであろうことが、ひしひしと伝わってくる。

それにしても、彼の文章の重厚さと、そこから滲み出る取材の厚みはただ事ではない。例えばある人物の登場シーン:

寿安(ジュアン)はたったひとりで、甚右衛門たちの前に姿を現した。打ち刀一振りを腰に、柿渋(かきしぶ)色の麻の単衣(ひとえ)と野袴(のばかま)、草鞋履きで、赤い直垂(ひたたれ)も羽織っておらず、禿(かむろ)にしていた髪は後ろで結い束ねていた。(カッコ内は原文ではルビ打ち)

この一文をものするのに、どれだけの知識の裏打ちが必要とされるのか、まさに想像を絶する。形こそ「黄金旅風」からの続きに見えはするが、やはりこれは別個の独立した作品として書かれたものだろう。(とはいえ、やはり「黄金旅風」を先に読んでおいたほうが、ずっと深く本書を楽しめるのは間違いない)

唯一物足りないのは、前半に登場する魅力的な登場人物である長崎の医者・外崎恵舟と、南蛮人の血を引く若い農民・寿安の活躍が、後半では「島原の乱」の背後に隠れがちであったことだろうか。この作家の他の作品にも共通する「おのれの技量を最高度に発揮する庶民」の物語と、原城攻防戦をピークとする農民蜂起の巨大な物語とのバランスを図るのは、いくらなんでも至難の業だったかもしれない。

とはいうものの、読んでいる間はまさに巻置くあたわずの感がある圧倒的な大作。歯応え充分で、なおかつ消化に少々手間取りそうではあるが、ずっしりと腹に残る一冊である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「フェレットの冒険Ⅱ:嵐のなかのパイロット」

フェレットの冒険 2 (2)

リチャード・バック「フェレットの冒険シリーズ(The Ferrets Chronicles)」の第二作。第一作「海の救助隊」はタイトル通りフェレットの海難救助隊員の活躍を描いたものだが、本作もタイトル通り、フェレットの輸送機パイロットが主人公である。

しかししかし、本作ではのっけから「エンジェル・フェレット・フェアリー」なる霊的存在が登場してきて、現世のフェレット達にちょっかいを出すという展開になっている。うわあ、これはさすがに着いていくのが大変…だと思って読み進めたのだが、前作の海難救助場面に劣らない、緊迫した悪天候下の輸送機操縦シーンに手に汗握りつつ、あまりに予定調和な展開にこっちが恥ずかしい思いをしたりして、それでも楽しく読み終えたのであった。

本作ではさらにおまけに、小さな「奇蹟」のエピソードも用意されていて、やっぱり恥ずかしさを覚えつつ、ちょっぴり胸を熱くもさせられたりしたんである。うわー、恥ずかしい、照れくさい。

純真無垢にして、あくまでも「最高の正義」を追い求めるフェレット達。そこから作者のどんなメッセージを読み取るのも自由だとは思うが、むしろバックの現実逃避的志向にこそ、我々が受け止めるべきメッセージが現れているような気がする。全5部作の本作、残り3作が刊行され、そして読み終えられた時、何かもっと伝わるものがはっきりと形を表すのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧