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2008年11月

「レッズ人の物語」

ぼちぼち読んでる塩野七生「ローマ人の物語」シリーズの題名を眺めると、「勝者の混迷」とか「迷走する帝国」とか、さらには「終わりの始まり」とか、我らが赤いチームの現状を形容するにふさわしい言葉が並んでいるんである。はあ(嘆息)

それにしてもここ数週間の混迷振りはすさまじい。「エンゲルス体制で3位内確保を目指す」はずが、来期監督候補の名前が取りざたされ、あろうことかそのフィンケ氏視察来日のタイミングでエンゲルス解任発表。同時期に内舘・岡野の両ベテランの戦力外がアナウンスされる。

これでどうやってモチベーションを維持するのかと思った矢先に、大事なエスパルス戦とガンバ戦を落とし、3位以内もほぼ絶望的となってしまった。最終戦はホームでFマリノス。先方も無事J1残留を決めた後だけに、お互いテンションが上がりにくい状態ではあるが、いったいどんなゲームが繰り広げられるのであろうか? どうせなら、岡野と内舘の姿をピッチ上で見せてくれると嬉しいのだが、そういうサービス精神も無さそうだなぁ…

誰のせいでこうなったのか?…と犯人捜しすることには、あまり意味があるまい。選手も監督もクラブも、そしてもちろんサポーターも、皆それぞれに責任を感じるべきであろう。もちろんそれは、責任の所在を曖昧にしようという意味ではなく、要するに「人のせいにするな」ということである。

栄光の時代は短く、冬の時代は(恐らく)長く暗いはず。しかし、どんな状況だろうと試合になれば応援して、勝てば喜び、負ければ悔しがるだけのことだ。今季最終戦が、選手にとってもサポーターにとっても、楽しい一戦になることだけを祈ることにしよう。

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「出星前夜」~待った、読んだ、泣いた

出星前夜

出星前夜」(飯島和一、小学館)

前作「黄金旅風」発表からおよそ四年を経ての新作である本作は、その前作から時代的には引き継がれる形での物語となっている。

九州島原の地での圧政に苦しむ農民たちが、既に禁制となっていたキリスト教を復活させ、絶望的な反乱を起こし、それがついに「島原の乱」へとつながっていく。史実によるまでもなく、農民蜂起が敗北に終わるのは必然であり、つまりは「敗者の物語」であるわけだが、それを単純な悲劇や、戦闘のスペクタクルに仕立て上げないところがこの作者らしい。

作者・飯島和一は、この作品では徹頭徹尾怒っている。幕藩体制の維持だけを目的として国家を運営する徳川幕府に対して、その幕府に姑息なまでに媚びへつらい、挙げ句に領民を極限まで搾取する藩主に対して、そして更にそうした圧政に、絶望からの暴走のみにしか希望を見いだせない農民に対して。そしてその怒りは、間違いなく現代の日本そのものへの怒りであろうことが、ひしひしと伝わってくる。

それにしても、彼の文章の重厚さと、そこから滲み出る取材の厚みはただ事ではない。例えばある人物の登場シーン:

寿安(ジュアン)はたったひとりで、甚右衛門たちの前に姿を現した。打ち刀一振りを腰に、柿渋(かきしぶ)色の麻の単衣(ひとえ)と野袴(のばかま)、草鞋履きで、赤い直垂(ひたたれ)も羽織っておらず、禿(かむろ)にしていた髪は後ろで結い束ねていた。(カッコ内は原文ではルビ打ち)

この一文をものするのに、どれだけの知識の裏打ちが必要とされるのか、まさに想像を絶する。形こそ「黄金旅風」からの続きに見えはするが、やはりこれは別個の独立した作品として書かれたものだろう。(とはいえ、やはり「黄金旅風」を先に読んでおいたほうが、ずっと深く本書を楽しめるのは間違いない)

唯一物足りないのは、前半に登場する魅力的な登場人物である長崎の医者・外崎恵舟と、南蛮人の血を引く若い農民・寿安の活躍が、後半では「島原の乱」の背後に隠れがちであったことだろうか。この作家の他の作品にも共通する「おのれの技量を最高度に発揮する庶民」の物語と、原城攻防戦をピークとする農民蜂起の巨大な物語とのバランスを図るのは、いくらなんでも至難の業だったかもしれない。

とはいうものの、読んでいる間はまさに巻置くあたわずの感がある圧倒的な大作。歯応え充分で、なおかつ消化に少々手間取りそうではあるが、ずっしりと腹に残る一冊である。

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「おくりびと」

おくりびと」(10月31日、MOVIXさいたま

目の前に体がある。いわゆる「死体」である。家族ならともかく、見ず知らずの「死体」にあなたは手を触れられるだろうか? ましてや顔を撫で、体を抱きかかえ、手を握るなど? たとえそれが「仕事」であっても、だ。

しかしそういう「仕事」は確かにある。我々が近寄りたがらず、目をそむけたくなることでも、誰かがその「仕事」をやらなければならない。そしてその種の仕事でも、いや、その種の仕事だからこそ、高い技術と志に裏付けられた「美しさ」や「高貴さ」が見いだされるのだろう。

思いがけない経緯から「納棺師」になってしまった主人公(本木雅弘)が、とまどいながらもいつしかその仕事をしっかりと「自分の職業」として習得していく過程は、悲惨さよりも可笑しさに溢れている。彼が仕事の腕を上げていくにつれ、なんでもない場面でもつい目頭が熱くなってしまう。それはつまり、しょせんは他人事でしかない「他人の死」が、実はどこかで自分と自分の大切な人たちの死とつながっていることに気づかされるからだと思う。

「好きを仕事に」なんて、誰が言い出したのだろう? 「好きを仕事」などと言っていて、誰がこんな仕事を選ぶというのか。どんな仕事に巡り会っても、まずはそこで最善を尽くすこと。そしてそれが「自分の職業」だと思えるなら、それでいいではないか。この映画は、「職業に貴賎は無い」という言葉の本当の意味を気づかせてくれる。

すでにあちこちで絶賛されているが、モックンの所作が本当に美しい。まるで音のない舞を見ているようだ。これだけでもこの映画を見る価値があるだろう。笑って泣いて、気持ちよく映画館を出られる。とても素敵な一本だ(★★★★☆)

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