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「門」

「門」(ちくま文庫版全集第6巻所収)を読んだ。

三四郎」、「それから」に続く、いわゆる三部作の、いわば終章にあたるのが本作である。えーと、実はこれも初読だったりする。

(以下、「それから」も含めてネタバレである。念のため)


「それから」の主人公・代助は、結局のところ友人の妻を奪ってしまうわけだが、そういう、ある種「後ろ暗い」経緯で結ばれた二人の、さらにその後の生活を描いている。(もちろん、登場人物はまったくの別人)

低級官吏とおぼしき主人公・宗助と、その妻・御米は、夫婦二人だけのつましい生活を送っている。大した事件もなく過ごしていた宗助だが、ふとした偶然から、御米を奪い取った友人・安井の影がちらつくことになる。昔のことを思い出しつつ、あれこれと悩んだ宗助は、職場の同僚から聞いた話を頼りに、鎌倉の禅寺で修行の真似事をするが、悟りらしきものは得られない。だが、安井の影は、いつしかまた霧散しており、夫婦には、また平穏な日々が訪れる・・・

とまあ、こんな感じの話なわけだが、それにしても、宗助と御米の生活振りと夫婦愛は、とても美しい。宗助は、平素は家に帰ればゴロゴロしているような亭主だが、御米が具合を悪くするや、医者を呼び、会社を休み、我がことのように容態を案ずる。妻の御米もまた、決して裕福とはいえない(むしろ貧乏)生活にあって、静かに家を守り続ける。

しかし、他人の妻を奪ったという過去が、何かにつけて二人を苦しめるのだが、それがために、読んでいて同情したくなるくらいに、二人は隠遁者のような生活を送っている。御米が、過去三度にわたっての死産のあげく、子供が望めない体になるというエピソードなど、さすがにかわいそうに過ぎる。

宗助が禅寺で修行に及ぶくだりは、解説にもあるが、漱石自身の経験を小説に生かしたいがためのものらしく、いささか唐突である。ただ、そこで悟りらしいものを得られずに、失意のうちに寺を去る宗助の姿は、極めて印象的だ。

彼は前を眺めた。前には堅固な扉がいつまでも展望を遮ぎっていた。彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。

自分たちに近づきかけた安井の影が、いつしか去った後に、夫婦は平和を取り戻す。終幕、そんな平和な気分のうちに春を迎え、「本当にありがたいわね、ようやくの事春になって」と無邪気に喜ぶ御米に向かって、宗助は縁側で爪を切りながら、こう応える。

「うん、しかしまたじき冬になるよ」

エゴイズムを極度に発露させてしまった人間は、その後の人生で、ずっとこうした諦念を抱えながら生きなくてはならないというのだろうか。

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