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「ブラザーフッド」

ブラザーフッド」を観た。(7月29日、銀座みゆき座)

※ネタバレはしないつもりだが、詳細な内容に触れるので、未見の方は、できるだけ映画を観てから、以下をお読み戴きたい。


朝鮮戦争を概観するといった基本設定、そしてその戦争に翻弄されて、ある兄弟とその家族の悲劇というストーリーは、いたってオーソドックスである。全編にわたって繰り広げられる、凄惨な戦闘シーンは、確かに物凄い迫力だが、やはり「プライベート・ライアン」そのままだ。

首を傾げたくなる箇所も、随所にある。そもそもの発端の、問答無用の徴兵からして、無理を感じる(これはしかし、実際にあったことらしい。なんという無茶な) また、兄弟二人が同じ部隊に配属されるという設定も、やや強引だし、追いつめられた韓国軍にあって、一兵卒(兄貴のほう)が、全部隊による、一か八かの奇襲を進言したりするあたりも、少々ご都合主義的に感じる。

そういった、かなり無理な設定とストーリー展開を見せながら、しかし映画は、堂々たる仕上がりになっている。そこには、自民族の悲劇を描こうという姿勢と共に、真に「面白い」映画を作ろうする意志が見て取れる。

兄弟の葛藤をめぐりストーリーには、確かに泣かされるエピソードもあるが、大仰な音楽と共に「さぁ、泣き所ですよ」といわんばかりの演出は、さすがに少々鼻についてしまう。一方で、むしろ淡々と描かれる、朝鮮戦争の悲惨なエピソードにこそ、胸が痛む。

同胞が、たまたま住んでいる場所が違うだけで、敵味方に別れて殺し合う。のみならず、止むに止まれぬ事情でどちらかの陣営に与した者達は、その後に、反対陣営の報復の対象となってしまう。そして肝心の敵味方の区別は、実のところ恐ろしく主観的で曖昧だ。戦争は、徹頭徹尾、理不尽であり、無意味である。

日本が未だに太平洋戦争を客観視して描けないのに比べ、韓国が、朝鮮戦争をこれだけ客観視して描けるのは、ある意味驚きである。これが民族性の差なのか、あるいはもっと別の理由があるのだろうか。

本筋とは全然関係無いが、戦争初期、敗色濃厚な韓国軍にあっての食料は、見るからに不味そうな麦(?)の握り飯一つだったのだが、米軍の助力を得て、一気に形勢を逆転して以降の食事は、白米にキムチとなっていた。史実かどうかはともかく、こういうところに妙にリアリティを感じてしまった。


参考記事:東京シネマホルモン倶楽部のレビュー

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