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「スパイダーマン2」

遅ればせながら、「スパイダーマン2」の感想をば。(7月31日、AMCイクスピアリ16)

あ、ネタバレはしないつもりだが、未見の人は、できれば映画を見てからお読みくださいまし。


いろんなところに書かれているが、とにかくピーターが、貧乏学生とスパイダーマンを両立させようと奮闘努力する展開が面白い。アメリカ中が知ってるヒーローなんだから、スパイダーマン稼業だけで食べていけそうな気がしてしまうが、ヒーロー業ってのは基本的にボランティアなので、映画で描かれる貧乏っぷりは、極めて正しい。

更に面白いのは、スパイダーマンがスパイダーマン足り得る能力が、ピーターがヒーローであることに疑問を持つに従い、消えたり弱まったりすることで、これがピーターの悩みを更に増大させてしまうわけだ。要するにデフレスパイラルである(違)

劇中、一度はスパイダーマンであることをやめて、学生に専念するピーターだったりするが、明るく楽しいキャンパスライフを送る場面でのBGMが「雨に濡れても」ってのが、なかなか楽しい。

それでも、本来なら自分の出番であるべき場面(火事や暴行)を見過ごさざるを得なくなったり、叔母さんが「子供達にはヒーローが必要なのよ」と言うのを聞いたり、ドクター・オクトパスという悪役が跋扈したりすることで、ついにピーターは自分が何者であるべきかを再認識するのだ。

ある事件を契機とした、自信の喪失から再生というストーリーは、冒険物語の王道であろう。本作もその王道を外さず、すっきりと筋の通った作りになっているのが気持ちいい。

思うに、この「迷い・喪失から再生」という展開は、911テロ以降のアメリカそのものかもしれない。今のアメリカの行動が正しいかどうかということではなく、アメリカ人自身が、なんらかの形で「再生」の物語を欲しているのではなかろうか。そんな彼らの心情に、この映画がうまくシンクロしたような気がする。

ラストのピーターとMJの関係は、なんとなく疑問に思わないでもないが、こうしないとパート3につながらないだろうから、ま、良しとしよう。

ところで、ピーター/スパイダーマンが、その能力を喪失し、そしてそれを取り戻すという基本ストーリーは、「魔女の宅急便」に良く似ていると思った。終盤、愛するMJの為に立ち上がるシーンが、キキがトンボを助ける為に、デッキブラシにまたがって飛び上がるシーンとダブって見えたのだった。

参考記事:スパイダーマン2(サム・ライミ)~CLASSICA「スパイダーマン2」/NAMARA新人ライブ~k-tanakaの映画的箱庭

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