「グラン・トリノ」(クリント・イーストウッド監督、5月1日 MOVIX三郷)
連休合間の映画の日、運良く休みとなったので、朝イチの回で鑑賞してきた。朝から映画って、贅沢なような、逆に少々貧乏臭いような、微妙な気分である。
※以下、ネタバレはしないけれど、これから鑑賞予定の方はできるだけ事前情報が少ない方が圧倒的に吉である。ご留意を。
このところほぼ毎年のようにイーストウッド監督作品が製作・配給されてるような気がしていて、事実ほぼその通りなんであるが、出演作としては「ミリオン・ダラー・ベイビー」以来となるらしい。そういう意味では、まさに「満を持して」というか、自らが納得のいく役柄での出演ということなんだろう。
とにかくイーストウッドの「偏屈じいさん」ぶりがすごい。このキャラクターで連続のテレビシリーズ作ってもいいんじゃないかと思えるほど、キャラが立っている。もちろんそれは、本作の主人公であるところの「ウォルトじいさん」の造形が見事なのと同時に、僕も含めた多くの観客が「(ダーティー)ハリーじいさん」を見ているからでもある。そらあんた、現役時代のハリー・キャラハンを知ってたら、あんまり近くに寄りたいなんて思わないでしょうよ。
がしかし、時は過ぎ去り、今や「ダーティー・ハリー」を知っている若者なぞ見あたらなくなってしまった。ましてやそれがアジア系の移民ティーンズであれば尚更だ。そして「ハリー」を知らない若造共には、「これ以上俺の友人に近づいたら、ただじゃおかないぞ」という脅しはまるで通用しない。彼らの辞書(持っているとして)には「リスペクト」という言葉すら無いに違いない。
自分が信じ、大切にしてきたものを受け継がせる次世代が見当たらないことに思い至った時、「ウォルト=ハリー」は彼自身も思ってもいなかったであろう決着を選び、同じく考えてもいなかった「世代」を後継者に選んだ。その選択の是非がわかるのは、恐らく10年、20年経った頃だろう。
イーストウッドがいろんな思いを込めて作り始めた自らの「思い出のアルバム」……、エンディングに流れる渋く朴訥とした彼自身の歌声を聴きながら、そんなことを考えた。このアルバム作り、まだあと何冊か作られそうな気がするし、そうであって欲しい。(★★★★☆)
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