家内が起きて待っていてくれたのだが、聞けば下の子の友達が泊まっているとのこと。その子のご両親が二人とも都内で帰宅難民になってしまったため、うちで一晩預かることになったのだという。
疲れてはいたがとにかくさっと風呂を浴びてから、ようやくテレビで被害の映像を目にしたのだが、とても現実のものとは思えなかった。同じ内容のニュースを違う局で確かめながら、結局寝たのは3時近くだったろうか。
翌12日の朝は7時過ぎに起き、近くのベーカリーに朝食のパンを買いに行った。この時にはスーパーでのパンの品切れ状況を知らなかったのだが、結果としてここで買っておいたのは正解だった。家内と先に朝食を済ませ、遅れて起きてきた子ども達にパンを食べさせる。しばらくして、泊まっていた子のお父さんから連絡があり、朝方ようやく帰れたとのことで、ほどなく迎えにやってきた。
その後はほとんど家にいたのだが、とにかく何をするでもなくずっとテレビを見続け、平行してネットをうろつきながら、ひたすら震災に関する書き込みやつぶやきを漁り続けた。
記憶が定かでは無いのだが、震災翌日のこの日時点で、死者・行方不明者の総数は3千人前後だったろうか。正直に書くと、この規模の災害でこの程度の人的被害とは、さすがに日本ならではだと思ったのだった。福島原発の被災ももちろんニュースになっていたが、地震発生時点で停止したのであれば、こちらもそれほどの被害は起こるまいと思っていた。(そしてどちらの「楽観」も、日を追うごとにただの「楽観」だと明らかになる)
結局テレビを見続けたまま一日が終わってしまった。早めにベッドにもぐりこんだものの、夜中から朝方にかけて、何度か携帯の緊急地震速報で起こされ、あまり寝た気がせずに次の日になってしまった。
翌13日の日曜日は特に予定も無かったのだが、どうやらいろいろなモノが売り切れつつあるらしいとのママさん情報があったので、手分けして調査&買い物。僕は乗って帰った社有車のガソリン残量が心もとなかったので、近所のスタンドを何軒か回って、なんとか一軒の給油待ち列の最後尾に並び、30分ほど待って給油。ここでは一律3000円(およそ21リッター)での販売となっていた。
給油を済ませてから家内と合流したが、聞けば近隣のスーパーではパンや米、カップ麺類が売り切れとのこと。自宅での備蓄はそれほど心配なかったのだが、念のため少し離れた大型スーパーに出かけてみたところ、やはり同様の状況だった。不要不急の物品を慌てて買う必要は無い、と頭では分かっていても、現実にスーパーの棚ががら空きになっているのを見ると、何とも言えない不安感に襲われる。(もっとも、いくら不安でも、この日は買う物が無かったわけだが)
夕方からは家でずっとテレビ&ネット。計画停電の発表もあったが、具体的にどうなるのかは良くわからないまま。各所を襲った津波の映像が繰り返し流され、文字通りガレキの山と化した被災地の様子にただただ心を痛めつけられる。
翌日は早起きしなくてはならなかったので、無理矢理早寝することにした。
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